このブログでは、時間外労働についての裁判例を紹介しています(つづき)。
3 そこで、右規則変更の効力がこれに反対していた原告らに及ぶのかを検討するに、証拠(〈証拠・人証略〉、原告山崎佳克、被告代表者久保俊雄)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一)被告会社には、労働組合として、原告らの所属する全国一般労組のほかに徳島県自動車交通労働組合徳島南海タクシー労働組合が存在していたが、平成七年五月ころ、全国一般労組の組合員であった者が、同組合が超勤深夜手当(残業代)の支払をめぐって提訴中であったことから、このままでは会社の存続にかかわると危惧して、同組合を脱退し、徳島南海労働組合を設立するに至った。
平成八年六月二〇日当時、従業員七〇名(運転手は六二名)のうち、全国一般労組の組合員が二二名、徳島南海タクシー労働組合の組合員が一九名、徳島南海労働組合の組合員が一六名であり、同年一〇月二日当時では、従業員六九名のうち、全国一般労組の組合員が二二名、徳島南海タクシー労働組合の組合員が一四名、徳島南海労働組合の組合員が一五名であった。
なお、平成九年一〇月時点においては、従業員六一名のうち、全国一般労組の組合員が二〇名、徳島南海タクシー労働組合の組合員が八名、徳島南海労働組合の組合員が一四名となり、平成一一年一〇月時点では、徳島南海タクシー労働組合の組合員は五名となっている。
(二)被告会社においては、平成三年度をピークに運送収入が減少し、平成四年度からは赤字に転じ、平成六年度においては四億円を超える累積赤宇を抱えるようになっていた。
このような経営状況に加え、被告会社は、平成六年一二月九日、徳島労働基準監督署から、労働基準法三六条に基づく協定の届出なく時間外労働(残業)を行わせ、かつ一か月及び一日の拘束時間が長くなっていることや、休日労働を行わせていることに対して是正勧告を受け、また、労働基準法改正により所定労働時間が短縮されたところ、被告会社は一週四八時間で短縮ができていなかったことから、労働時問の短縮と労働条件の改善を図るとともに、併せて賃金の累進歩合制度を廃止した新賃金制度を作成すべく、平成七年一〇月二四日、三労働組合に対し、個別に、労働時間と新賃金について提案を行った。
(三)被告会社と徳島南海労働組合との交渉は、一一、二回行われ、執行委員長の西岡利幸の他に組合員が交替で参加していたが、同組合の交渉方針は、会社の存続を第一に考え、その次に従来の協定書より条件が悪くならないことを前提に交渉を進めてきたが、給与についても必ずしも最低賃金にこだわらないというものであった。そして、同組合では、交渉に先だって、組合員から意見を聞き、交渉の結果については、書面化して回覧するなどしていた。なお、西岡は、被告会社の経営状況について、四億円ないし五億円程度の負債があることは認識していたものの、その具体的な中身までは知らなかった。
被告会社と徳島南海タクシー労働組合との交渉は、一〇回程度行われ、同組合側からは山上幸市執行委員長や、上部団体の書記長である安田禎宏らが参加していた。なお、同組合においては、交渉に先だって、組合員から意見を聴取することなく、交渉は安田らに一任されていた。
なお、被告会社は、この度の変更は運転手に関する事項であったため、運転手以外の従業員に対しては、変更についての説明等は行わなかった。
右二労働組合との交渉において、被告会社は、当初、固定給と歩合給を併せた賃金制度を提案していたが、その後、組合側の意見を聞きながら、出来高制について協議し、出来高の五二パーセントを賃金とし、定年も五七歳から六〇歳に延長することで、合意するに至った。
(四)他方、全国一般労組との交渉は、一二回程度行われ、当初は一時間から三時間程度行っていた。しかし、同組合が先に昭和六一年の協定書の内容を第一次判決の結果を踏まえて訂正することを主張したため、協議が進行せず、平成八年二月に、被告会社が出来高制について提案したのに対し、全国一般労組は賃金体系を固定給と歩合給その他乗務手当などとする内容の提案を行い、同年三月二八日、全国一般労働組合徳島地方本部の委員長を交えて交渉を行ったものの、合意に達せず、その後の交渉は五分ないし一五分程度のもので終わった。
(五)被告会社は、前記争いのない事実等八記載のように、徳島南海タクシー労働組合や徳島南海労働組合と協定書を交わした上で、平成八年六月一〇日、徳島労働基準監督署に対し、就業規則の変更届を提出した。
右提出に先立ち、山上は徳島南海タクシー労働組合の執行委員長として、また、運転手個人として、変更に同意する旨の意見書二通を、被告会社に提出し、西岡も徳島南海労働組合委員長として同旨の意見書を提出した。
これに対し、就業規則を変更する旨通知を受けた全国一般労組は、被告会社に対し、同月二〇日、協議も十分になされたものではなく、第一次判決の趣旨を踏まえない、不利益なものであるとして、その実施を見送るよう求めた内容証明郵便を送付した。
なお、右規則の変更後、徳島南海労働組合に所属していた亀岡光夫は、変更に納得できず、同組合を脱退し、また、徳島南海タクシー労働組合に所属していた小林良造も同組合を脱退した。
(六)同年一〇月二日、被告会社と徳島南海タクシー労働組合及び徳島南海労働組合は、前記争いのない事実等九記載の協定書を締結した。
しかし、右協定書に基づく、徳島労働基準監督署への就業規則の変更届は、平成九年三月二八日に行われ、これには西岡が個人として変更に同意する旨の意見書が添付されていた。
なお、被告会社は、右就業規則の変更については、変更したこと自体、全国一般労組に通知しなかった。
(七)就業規則の変更は、事業所ごとに届け出ねばならず、それ故、被告会社の鳴門営業所についても、鳴門労働基準監督署に届けねばならなかったところ、被告会社は同監督署に変更届を提出しなかった。
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